昭和四十年十月十五日朝の御理解


 今日の十五年の記念に、お祭りを奉仕させて頂く、まあいよいよ今日の十時にその幕が、切って落とされる訳でございますけれども、あたしの腹ん中に、その子の定まったもの、決まったものがなかった、おめでとうを書かせて頂こうと思うけれども、その決まったものが心の中にない、それを書く事も出来ん。いろいろこの十五年の記念のお祭りが、どう言うような思いを中心にして、
えーお祭りをさせて頂こうかと、思わせて頂いとりましたら、今朝その思いがかなうりました。そしてそれどう言う風に定まったかと言うと、この十五年間の事、ね、十五年間の事振り返らせて頂いて、なにが自分に出来たかと言う事、出来たのはもうお粗末御無礼ばっかり、孤立してもうなすこる?成るほど、椛目で沢山の人が助かった、ね、そして私共家族のものおまかないを頂いて、
さまにおかげを頂いて来たけれども、それがなんにも出来んのに、神様おかげだけ下さっておると言う事がわかった。もう今日のお祭りは、お詫びに徹し抜かせて貰う。お詫びに尽きるとわたくしはこう心が決まった。十五年間の事どれほどお詫びをしても、お詫びをしても、お詫びし尽くせんけれども、この十五年の記念のお祭りにどうでも、出来ん程の数々の、
お詫びもその事を、いよいよ命懸けで改まらせて、頂こうと腹が決まった。その事を持って神様にお詫びお許しを頂こうと、もうわたくしの腹はそう言う風に、決まったんですけども、みなさんはどう言うような、事か分かりませんけど、今日わたくしが申しております事をです、本当に先生あなたばかりじゃありません、私共もそうであったと気付かれる方は、
ね、どうぞあたくしの信心に、連れのうて頂いて、どうぞ今日の御大際を、記念祭をお詫びに十五年間のお詫び、ね、それが私共の信心、今日のお祭りに現れて参りますような、おかげを頂きたいと、思うとりますからどうぞ、そう言う風に本当に、思うて見れば見る程、あいすまん事であったと言う、そこん所にもとづかれる方はです、どうぞその精神で今日のお祭りを、
拝んで頂きたいと思うのでございます。これは皆さんに、皆さんに申しとりますけども、これはもう私自身の事、ね、けども皆さんも、まああたくしの信心に繋がっておって下さいますから、ね、翌々自分の胸に手を置いて見ると、そうなのでございますから、そこに気付かれる方は、どうぞそのお詫びを中心にした所の、お祭りであらなければならない。ですから今日のお祭りには、
そう言う本当に大坪が、心から真から命懸けで詫びておる、と言うお祭りが現れれば、有り難い事だとこう思うのでございます。どうぞよろしくお願いいたします。(井出一憲)